彼岸前迄〜此岸の徒然〜

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zoom RSS 西暦⇔年号相互変換のブログパーツ(JavaScript)

<<   作成日時 : 2007/07/17 00:00   >>

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先日、旧暦表示のブログパーツ(JavaScript)を改造してつけてみたとき、ついでにちょっとだけ改造してつけてみた国立情報学研究所目録所在情報サービスにあった年号/西暦変換のJavaScriptですが、当初は景行天皇1年=西暦71年から相互変換出来ると喜んでいたものの、使っているうちに何やら不満が……。
私がよく資料に使っている新人物往来社の『歴代天皇・皇后総覧』や吉川弘文堂の『日本史総合年表』などの文献とくらべると、どうも●●天皇▲年というときの数え方が年号と同じような扱いになっているようで、しっくりとこないんです。年表で●●天皇▲年、略して●●▲年とか、略さずに●●天皇治世▲年とか●●治世▲年というのは、在位年ではなく治世年なんで、両者は必らずしも一致しないし、年号のように年の途中から変わるというか、西暦の1年のうちに2つの●●天皇▲年があるというのはあまりないはずなんですが、このJavaScriptはすべての天皇の変わり目の年を、まるで年号の変わり目の年のように2つの●●天皇▲年を並記しているんですね。まずはこれに大きな違和感が……。
下に参考として古代の天皇の治世年と在位年の対応表を掲載しますが、ある年の途中でA天皇が崩御してB天皇が即位した場合、その年はA天皇▲年で、B天皇1年はB天皇が即位した翌年になることが多く、即位の年が1年になるのは、先帝が前年に崩御している場合などになるのが一般的です(実は、年号についても、厳密にいうと年の途中で改元があると、その年は1月1日まで遡って新年号だったことにされて、例えば、8月に改元があった場合、それ以降に書かれた文書では8月以前の記述も新年号にされていたりします)。
あと、先日も書きましたが、紀元1年より以前の表示形式を、皇紀660年=西暦0年で皇紀1年=西暦-659年よりも、皇紀660年=西暦BC1年で皇紀1年=西暦BC660年のようにできないかとか、どうせなら景行天皇1年=西暦71年からじゃなく、神武天皇1年=西暦-659(BC660)年から相互変換できないものかとか、いろいろと気になってきてしまいまして、結局、また改造してみました。出来上がった結果は右のとおりです。
歴史、雑学好きで、暇と興味のある方、よかったら試してみてください。

古代の天皇治世年と在位年、源平・南北朝・室町期の年号並立時の西暦との対応
西暦天皇治世年・年号天皇在位年・出来事など
-659年(BC660年)神武天皇治世1年第1代 神武天皇
(在位BC660.1.1〜BC585.3.11)
-584年(BC585年)神武天皇治世76年
-583年(BC584年)手研耳命治世1年タギシミミの反逆
-581年(BC582年)手研耳命治世3年
-580年(BC581年)綏靖天皇治世1年第2代 綏靖天皇
(在位BC581.1.8〜BC549.5.10)
-548年(BC549年)綏靖天皇治世33年
-547年(BC548年)安寧天皇治世1年第3代 安寧天皇
(在位BC549.7.3〜BC511.12.6)
-510年(BC511年)安寧天皇治世38年
-509年(BC510年)懿徳天皇治世1年第4代 懿徳天皇
(在位BC510.2.4〜BC477.9.8)
-476年(BC477年)懿徳天皇治世34年
-475年(BC476年)孝昭天皇治世前1年第5代 孝昭天皇
(在位BC475.1.9〜BC393.8.5)
-474年(BC475年)孝昭天皇治世1年
-392年(BC393年)孝昭天皇治世83年
-391年(BC392年)孝安天皇治世1年第6代 孝安天皇
(在位BC392.1.7〜BC291.1.9)
-290年(BC291年)孝安天皇治世102年
-289年(BC290年)孝霊天皇治世1年第7代 孝霊天皇
(在位BC290.1.12〜BC213.2.8)
-214年(BC215年)孝霊天皇治世76年
-213年(BC214年)孝元天皇治世1年第8代 孝元天皇
(在位BC214.1.14〜BC158.9.2)
-157年(BC158年)孝元天皇治世57年
-156年(BC157年)開化天皇治世1年第9代 開化天皇
(在位BC158.11.12〜BC98.4.9)
-97年(BC98年)開化天皇治世60年
-96年(BC97年)崇神天皇治世1年第10代 崇神天皇
(在位BC97.1.13〜BC30.12.5)
-29年(BC30年)崇神天皇治世68年
-28年(BC29年)垂仁天皇治世1年第11代 垂仁天皇
(在位BC29.1.2〜70.7.14)
0年(BC1年)垂仁天皇治世29年
1年垂仁天皇治世30年
70年垂仁天皇治世99年
71年景行天皇治世1年第12代 景行天皇
(在位71.7.11〜130.11.7)
子に、成務天皇と日本武尊がいる。日本武尊に熊襲征討や蝦夷征討を命じたため、各地に日本武尊の伝説が残る。また、武内宿禰を初めて登用し、以後、武内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代にわたって仕えたとされる。
なお、成務天皇の次の仲哀天皇は日本武尊の子とされる。
130年景行天皇治世60年
131年成務天皇治世1年第13代 成務天皇
(在位131.1.5〜190.6.11)
188年成務天皇治世58年
[邪馬台国]卑弥呼1年
190年成務天皇治世60年
[邪馬台国]卑弥呼3年
191年仲哀天皇治世前1年
[邪馬台国]卑弥呼4年
第14代 仲哀天皇
(在位192.1.11〜200.2.6)
192年仲哀天皇治世1年
[邪馬台国]卑弥呼5年
200年仲哀天皇治世9年
[邪馬台国]卑弥呼13年
201年神功皇后治世1年
[邪馬台国]卑弥呼14年
神功皇后
(摂政201.10.2〜269.4.17)
明治時代以前は第15代天皇とされる。
248年神功皇后治世48年
[邪馬台国]卑弥呼61年
249年神功皇后治世49年
[邪馬台国]壱与1年
267年神功皇后治世67年
[邪馬台国]壱与19年
269年神功皇后治世69年
270年応神天皇治世1年第15代 応神天皇
(在位270.1.1〜310.2.15)
310年応神天皇治世41年
311年菟道稚郎子治世1年菟道稚郎子
応神天皇の皇太子だったが即位せず、仁徳天皇に皇位を譲るために自殺したとされる。
312年菟道稚郎子治世2年
313年仁徳天皇治世1年第16代 仁徳天皇
(在位313.1.3〜399.1.16)
399年仁徳天皇治世87年
400年履中天皇治世1年第17代 履中天皇
(在位400.2.1〜405.3.15)
405年履中天皇治世6年
406年反正天皇治世1年第18代 反正天皇
(在位406.1.2〜410.1.23)
410年反正天皇治世5年
411年允恭天皇治世前1年第19代 允恭天皇
(在位412.12.?〜453.1.14)
412年允恭天皇治世1年
453年允恭天皇治世42年
454年安康天皇治世1年第20代 安康天皇
(在位453.12.14〜456.8.9)
456年安康天皇治世3年
457年雄略天皇治世1年第21代 雄略天皇
(在位456.11.13〜479.8.7)
479年雄略天皇治世23年
480年清寧天皇治世1年第22代 清寧天皇
(在位480.1.15〜484.1.16)
484年清寧天皇治世5年
飯豊皇女治世1年
飯豊皇女
(執政484.1.?〜484.11.?)
『水鏡』では第24代 飯豊天皇とされる。
485年顕宗天皇治世1年第23代 顕宗天皇
(在位485.1.1〜487.4.25)
487年顕宗天皇治世3年
488年仁賢天皇治世1年第24代 仁賢天皇
(在位488.1.5〜498.8.8)
498年仁賢天皇治世11年
499年武烈天皇治世1年第25代 武烈天皇
(在位498.12.?〜506.12.8)
506年武烈天皇治世8年
507年継体天皇治世1年第26代 継体天皇
(在位507.2.4〜531.2.7)
531年継体天皇治世25年
532年安閑天皇治世前2年
[二朝並立]欽明天皇治世1年
第27代 安閑天皇
(在位531.2.7〜535.12.17)
安閑・宣化朝と欽明朝の二朝並立説がある。
533年安閑天皇治世前1年
[二朝並立]欽明天皇治世2年
534年安閑天皇治世1年
[二朝並立]欽明天皇治世3年
535年安閑天皇治世2年
[二朝並立]欽明天皇治世4年
536年宣化天皇治世1年
[二朝並立]欽明天皇治世5年
第28代 宣化天皇
(在位535.12.?〜539.2.10)
安閑・宣化朝と欽明朝の二朝並立説がある。
539年宣化天皇治世4年
[二朝並立]欽明天皇治世8年
540年欽明天皇治世1年第29代 欽明天皇
(在位539.12.5〜571.4.15)
571年欽明天皇治世32年
572年敏達天皇治世1年第30代 敏達天皇
(在位572.4.3〜585.8.15)
585年敏達天皇治世14年
586年用明天皇治世1年第31代 用明天皇
(在位585.9.5〜587.4.9)
587年用明天皇治世2年
588年崇峻天皇治世1年第32代 崇峻天皇
(在位587.8.2〜592.11.3)
592年崇峻天皇治世5年
593年推古天皇治世1年第33代 推古天皇
(在位592.12.8〜628.3.7)
628年推古天皇治世36年
629年舒明天皇治世1年第34代 舒明天皇
(在位629.1.4〜641.10.9)
641年舒明天皇治世13年
642年皇極天皇治世1年第35代 皇極天皇
(在位642.1.15〜645.6.14)
重祚して第37代 斉明天皇となる。
645年皇極天皇治世4年
孝徳天皇治世1年
大化1年
第36代 孝徳天皇
(在位645.6.14〜654.10.10)
はじめて年号を定めた天皇。この時期は年号があるため、孝徳▲年と呼ばれることはほとんどない。とりあえず、即日譲位による持統・文武の例にならって645年を皇極14年=孝徳1年としたが、それ以前の例にしたがえば、即位の翌年の646年を孝徳1年とすべきかもしれない。
650年孝徳天皇治世6年
大化6年,白雉1年
654年孝徳天皇治世10年
白雉5年
655年斉明天皇治世1年第37代 斉明天皇
(在位655.1.3〜661.7.24)
第35代 皇極天皇が重祚したもの。
661年斉明天皇治世7年
662年天智天皇治世1年第38代 天智天皇
(在位661.7.24〜671.12.3)
671年天智天皇治世10年
672年弘文天皇治世1年
天武天皇治世1年
[寺社縁起]白鳳1年
「白鳳」は私年号で、その期間も、「白雉」の別称で650〜654年、『二中歴』等の661〜683年、『寺社縁起』等の672〜685年など諸説ある。また、天武天皇治世1年を673年とする文献もある。
第39代 弘文天皇
(在位671.12.5〜672.7.23)
第40代 天武天皇
(在位673.2.27〜686.9.9)
685年天武天皇治世14年
[寺社縁起]白鳳14年
686年天武天皇治世15年
朱鳥1年
687年持統天皇治世1年第41代 持統天皇
(在位686.9.9〜697.8.1)
697年持統天皇治世11年
文武天皇治世1年
第42代 文武天皇
(在位697.8.1〜707.6.15)
701年文武天皇治世5年
大宝1年
704年文武天皇治世8年
大宝4年,慶雲1年
707年文武天皇治世11年
慶雲4年
1181年[源氏]治承5年
[平氏]養和1年
治承・寿永の乱
1180年4月9日の以仁王による平清盛追討の令旨を契機として始まった、いわゆる源平の合戦。1185年3月24日の壇ノ浦の戦いで平氏滅亡により終結。源氏は、平氏方の第81代 安徳天皇(在位1180.2.21〜1185.3.24)治世下で改元された「養和」「寿永」を使用せず、「治承」を使い続けた。1183年7月、平氏が西国へ落ちると、後白河法皇の院宣で第82代 後鳥羽天皇(在位1183.8.20〜1198.1.11)が践祚し、1184年に「元暦」に改元されるが、平氏はこれを使用せず、「寿永」を使い続けた。1183年8月20日〜1185年3月24日は天皇が並立したことになる。
1182年[源氏]治承6年
[平氏]養和2年,[平氏]寿永1年
1183年[源氏]治承7年
[平氏]寿永2年
1184年[源氏]元暦1年
[平氏]寿永3年
1185年[源氏]元暦2年,文治1年
[平氏]寿永4年
1331年[南朝]元弘1年
[北朝]元徳3年
南北朝時代
1331年、大覚寺統(後の南朝)の後醍醐天皇の倒幕の目論見が発覚し、後醍醐天皇・楠木正成らが挙兵する。9月20日、幕府は持明院統(後の北朝)の光厳天皇を践祚させ、天皇が並立することとなる。
1333年5月21日、北条氏が滅び、5月25日、光厳天皇が退位して、後醍醐天皇の親政がはじまるが、やがて足利尊氏と離反。1336年8月15日、足利尊氏の奏請により、光明天皇が践祚し、ふたたび天皇が並立することとなる。
1351年11月7日、北朝の崇光天皇が退位し、北朝の年号「観応」を廃止することで、南朝の後村上天皇、年号「正平」として南北朝が合一される。これを「正平一統」と呼ぶ。しかし、1352年閏2月20日に正平一統は破れ、6月19日、広義門院西園寺寧子を治天の君とした北朝は、8月17日には後光厳天皇を践祚させ、ふたたび両朝が並立することとなる。
1392年閏10月5日、南朝の後亀山天皇が退位し、南朝の年号「元中」を廃止することで、北朝の後小松天皇、年号「明徳」として南北朝の合一が行なわれ、ようやく南北朝時代が終結する。
1332年[南朝]元弘2年
[北朝]元徳4年,[北朝]正慶1年
1333年[南朝]元弘3年
[北朝]正慶2年
1334年元弘4年,建武1年
1335年建武2年
1336年[南朝]延元1年
[北朝]建武3年
1338年[南朝]延元3年
[北朝]建武5年,[北朝]暦応1年
1340年[南朝]延元5年,[南朝]興国1年
[北朝]暦応3年
1342年[南朝]興国3年
[北朝]暦応5年,[北朝]康永1年
1345年[南朝]興国6年
[北朝]康永4年,[北朝]貞和1年
1346年[南朝]興国7年,[南朝]正平1年
[北朝]貞和2年
1350年[南朝]正平5年
[北朝]貞和6年,[北朝]観応1年
1352年[南朝]正平7年
[北朝]観応3年,[北朝]文和1年
1356年[南朝]正平11年
[北朝]文和5年,[北朝]延文1年
1361年[南朝]正平16年
[北朝]延文6年,[北朝]康安1年
1362年[南朝]正平17年
[北朝]康安2年,[北朝]貞治1年
1368年[南朝]正平23年
[北朝]貞治7年,[北朝]応安1年
1370年[南朝]正平25年,[南朝]建徳1年
[北朝]応安3年
1372年[南朝]建徳3年,[南朝]文中1年
[北朝]応安5年
1375年[南朝]文中4年,[南朝]天授1年
[北朝]応安8年,[北朝]永和1年
1379年[南朝]天授5年
[北朝]永和5年,[北朝]康暦1年
1381年[南朝]天授7年,[南朝]弘和1年
[北朝]康暦3年,[北朝]永徳1年
1384年[南朝]弘和4年,[南朝]元中1年
[北朝]永徳4年,[北朝]至徳1年
1387年[南朝]元中4年
[北朝]至徳4年,[北朝]嘉慶1年
1389年[南朝]元中6年
[北朝]嘉慶3年,[北朝]康応1年
1390年[南朝]元中7年
[北朝]康応2年,[北朝]明徳1年
1392年[南朝]元中9年
[北朝]明徳3年
1429年永享1年
[鎌倉公方]正長2年
永享の乱
第4代鎌倉公方 足利持氏は、第6代将軍 足利義教と対立し、「正長」の年号を使い続ける。足利持氏は、鎌倉府と幕府の調停に努める関東管領 上杉憲実とも対立し、1438年8月、ついに上杉憲実に対して兵を動かす。これに対して、幕府は持氏追討の兵を出し、1439年2月10日、足利持氏は自害させられる。
1439年永享11年
[鎌倉公方]正長12年
1455年康正1年
[古河公方]享徳4年
享徳の乱
1454年12月27日、第5代鎌倉公方 足利成氏が関東管領 上杉憲忠を謀殺したことにより勃発。1455年6月16日、今川範忠が鎌倉に進駐したため、成氏は下総国古河に移り、以後、古河を本拠地として初代古河公方となる。1478年1月5日、足利成氏、上杉顕定・定正と和睦。この間、成氏は「享徳」の年号を使い続ける。
1457年康正3年,長禄1年
[古河公方]享徳6年
1460年長禄4年,寛正1年
[古河公方]享徳9年
1466年寛正7年,文正1年
[古河公方]享徳15年
1467年文正2年,応仁1年
[古河公方]享徳16年
1469年応仁3年,文明1年
[古河公方]享徳18年
1478年文明10年
[古河公方]享徳27年
1528年享禄1年
[堺公方]大永8年
堺公方
第12代将軍 足利義晴の弟、足利義冬(義維)のこと。将軍 足利義晴・管領 細川高国と対立した細川晴元・三好元長に擁立され、1527年2月14日に義晴・高国が近江に逃れた後の3月22日に阿波国より和泉国堺に進出し、顕本寺を本拠にして京都をはじめ畿内を支配した政権。やがて細川晴元と三好元長が対立するようになり、1532年6月20日、三好元長の死によって政権は崩壊する。
1532年享禄5年,天文1年
[堺公方]大永12年

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日本の旧暦の年月日を西暦の年月日に置き換える際の疑問
日本史に関するテキストでは、日本の旧暦の年月日を西暦の年月日に置き換えて並記してあることがよくあります。日本の旧暦である太陰太陽暦では、1年で約11日、3年で約1ヶ月、実際の季節とズレがでるので(それを調整するために閏月がありますが)、現在使われている西暦に置き換えた年月日を並記されると、その事件がおきたときの季節感などを現在の暦に照らして感じやすくなるなど、色々と便利な面もあるかと思います。 ちなみに、旧暦では暦の月日と季節がずれていって、農耕などにおける生活暦として使用するには不便で... ...続きを見る
彼岸前迄〜此岸の徒然〜
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旧暦表示のブログパーツ(JavaScript)
最近、ブログパーツに凝って、旧暦を表示するカレンダーはないかと、Yahoo!でいろいろと探してみたんですが、意外とありそうでないんですね。2つほど見つけたんですが、どうも期待したものとは違うんです。旧暦の年月日と六曜(六輝)はわかるんですが、あとは月齢とか月(moon)の状態がわかるという、なんというか天文学寄り(?)っぽいもので、日本史や雑学好きな私にはいまひとつものたりない。例えば、年号とか、年月日の干支とか、月(month)の名前の和名とか、時刻が表示されたうえにそれが暮六ツとか丑の... ...続きを見る
彼岸前迄〜此岸の徒然〜
2008/05/08 06:06
旧暦表示のブログパーツ(JavaScript)その2
先日、設置した旧暦表示のブログパーツですが、昔風の時刻を表示したのはよかったものの、やはり、厳密に日出・日没や二十四節気に合わせるのは無理としても何とかそれに近づけたいと思い、12の節の平均日ごとに、刻の長さが変わるようにしてみました(二十四節気については「暦と季節感」参照)。 計算をなるべく簡単にするために、冬至前後は日出7時12分・日没16時48分、夏至前後は日出4時48分・日没19時12分ということにして、昼と夜は、それぞれ単純に等分にしています。よって、明六つ・暮六つと時鐘で区切... ...続きを見る
彼岸前迄〜此岸の徒然〜
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このところ、旧暦表示のJavaScriptをブログパーツにするための改造作業に熱中していて、参考資料としてあちこちのサイトや文献をあさってみましたが、強く感じるのは、現代のグレゴリオ暦の暮らしには季節感がないなぁ〜ということです。 といっても、旧暦(太陰太陽暦)には季節感があるというわけでもないですが……。太陰太陽暦は1年で約11日づつ、実際の季節とずれていきますから、いくら3年に1度閏月をいれて日数の辻褄をあわせても、それはそれで違和感が残ります。ただ、グレゴリオ暦よりはましですね。 ... ...続きを見る
彼岸前迄〜此岸の徒然〜
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西暦→和暦変換&日本史雑学カレンダー 暫定公開
7月から改造・設置している旧暦表示のブログパーツと西暦⇔年号相互変換のブログパーツですが、これを統合して、任意のグレゴリオ暦の年月日を、ユリウス暦と太陰太陽暦(定気法による天保暦に似た暦と平気法による宣明暦に似た暦の2タイプ)の年月日に換算し、さらに干支での年月日、九星・二十七宿・二十八宿・西洋占星術の星座・守り本尊、二十四節気・七十二候、月の状態、節句・雑節、年中行事、祝祭日・記念日、その年に賀寿・厄年を迎える生年、その年月日の日本の政権・著名人(もちろん現代でも知られている人ですが)と... ...続きを見る
彼岸前迄〜此岸の徒然〜
2008/05/08 06:10
西暦→和暦変換&日本史雑学カレンダー ほぼ完成
12月に暫定公開した西暦→和暦変換&日本史雑学カレンダーですが、忙しい合間にこつこつと少しずつ調べながら作っていた政権や著名人のデータベース部分が何とか出来上がりました。 例えば、ユリウス通日=2399328、またはグレゴリオ暦=1857年1月13日で変換してみると、「権力者・著名人など」の欄には、 ...続きを見る
彼岸前迄〜此岸の徒然〜
2008/05/08 06:11

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